DAVID BOWIE / THE FEATHERS BECKENHAM TAPE 【1CD】

DAVID BOWIE / THE FEATHERS BECKENHAM TAPE 【1CD】

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商品詳細

今や巨匠となった一条ゆかりという作家がいる。60年代後期にデビューし、コメディからシリアス物まで幅広いジャンルを描き、後進に多大な影響を与え、今も第一線で活躍している。その一条ゆかりに「失せしわが愛」という初期の作品がある。あらすじは、売れない画家が同棲している恋人を題材に絵を描く、しかしその恋人は白血病で余命いくばくもないという、まあ、こっぱずかしい70年代初頭ならではの話である。本人はさすがに「昔の恥」と述べている。

「若き芸術家が売れない時代に恋人をモチーフに作品を作る」

これは表現者であるなら誰しもが経験があることではないだろうか。画家は恋人の絵を描き、作家は私小説を書き、そしてミュージシャンは恋人に捧げて曲を作る。作品が売れず貧しくても、未来を信じて精神的に満たされた日々は、いくつになっても大切な想い出として心に残る。時代の空気に息づいて鮮やかだった日々、哀しみにペン先を浸して想い出で余白を潰し、恋人の名で心を埋めた、そういう時代がなければ、その人は不幸ではないか。

ボウイにも売れない時代に、将来を夢見て恋人や仲間と貧しいながらも精神的に豊かな生活をおくっていた時期があった。ボウイのデビューは1964年である。しかしデビューしたもののセールス的には失敗が続き、1967年にはソロ・アルバムを発表するが、ついには契約を打ち切られてしまう。音楽活動を休止せざるを得ず、ダンスやパントマイムなど舞台での表現を模索することになる。しかしミュージシャンとしての成功を諦めきれないボウイは、平行して作曲活動を継続していた。そんな時期に出会ったのが美しい長い髪のダンサー、ヘルミオーネ・ファージンゲールであった。

ヘルミオーネとボウイはすぐに恋に落ち、ロンドンのフラットで同棲生活を始める。そして友人であったジョン・ハッチンソンを誘い、3ピースのバンドを結成することになる。女性一人に男性二人というドリカム編成のバンドはTHE FEATHERSと名付けられた。活動期間は1968年9月から1969年半ばまでと短いながら、カラー映像もいくつか残されており、ボウイが早期から映像の影響に着目していた事実が伺える。しかしこの同棲生活は長くは続かず、ヘルミオーネがノルウェーに転居することで終焉を迎えることになる。時にボウイ22歳。この「22歳の別れ」がボウイには非常に打撃となり、後述するように、ヘルミオーネへの未練から彼女にインスパイアされた曲をいくつか残すことになる。

Heldenレーベル最新作の本作は、この恋人ヘルミオーネと同棲時代、ヘルミオーネと友人のジョン・ハッチンソンとボウイの三人でバンド活動をしていた時代のデモ録音を収録している。レコーディングは1969年4月とされている。一部にホテルのベッドルームでレコーディングされたとの記述がある文献もあるが、音を聴いてもらえればわかる通り、きちんとスタジオで3人でレコーディングされたものである。レコード会社に売り込むためのものなのか、或いはただの新曲のテストなのか、どういう経緯でスタジオ入りしたのかは不明だが、瑞々しい22歳のボウイが意欲的にオリジナル曲を仲間と一緒にレコーディングしている様子が克明に刻まれている。各曲の冒頭では丁寧に曲名と簡単な説明を加えており、スタジオの和やかな様子を伺わせる会話なども含まれている。そしてこの音源が歴史的なのは、短い活動期間であったTHE FEATHERSの時期のものであるというだけでなく、曲目を見てもらえればわかる通り、まさにメイキング・オブ・スペース・オディティとも言うべき内容になっている点にある。

ボウイがミュージシャンとして注目を浴びたのは、ヘルミオーネと別れた直後、1969年「スペース・オディティ」によってであった。この曲がアポロ11号の月面着陸に合わせて何度も繰り返し放送され、一躍注目の新人となったのである。ボウイ自身は明言していないが、1967年のファースト・ソロ・アルバムについては言及する事がほとんどなく、また後年のステージでも一切演奏していないことから、『スペース・オディティ』こそが真の意味で自分のデビューであると認識していたのではないだろうか。本作のレコーディングが1969年4月、『スペース・オディティ』のレコーディングが6月、そしてリリースが11月である。この時間軸でもわかる通り、本作はボウイがその才能を世間に現す直前の貴重なスタジオ・レコーディング・セッションなのである。当初バンドのための曲であったものが、ヘルミオーネとの別れと共にバンドは瓦解、そのまま自身のソロ・アルバムに曲を流用し、それがヒットすることでボウイの名が世界に出るのである。人生とは現在のこと全てが未来に確実に繋がっているものであるが、なんとも不思議な運命である。

では本作の内容を見てみよう。前述のように、本作は1969年4月にボウイが当時の恋人ヘルミオーネと友人ハッチンソンと3人で結成したバンドのスタジオ・セッションである。冒頭を飾るのは「スペース・オディティ」。このテイクは1990年SOUND + VISIONのボックスに収録されているものと同じテイクで、あの録音はまさにこの時のセッションで生まれたものなのである。しかしリリース・バージョンはいくばくかの編集が施されており、本作は未編集のまま前後が長いテイクとなっている。2曲目「ジャニーヌ」はアルバム『スペース・オディティ』のB面最初に収録されていた曲である。イキイキとノリがよく元気な歌いまわしであったリリース・バージョンに比べ、本作のバージョンは落ち着いて語るように歌われており、シンプルな楽器編成もあり曲の持つ本来の美しさが際立っている。リリース・バージョンにはない後半の盛り上がる部分でビートルズ「ヘイ・ジュード」のリフレインを替え歌にして、ナ〜ナ〜ナ〜ナナナナ〜ジャニーヌ♪と挿入している点が面白い。「おりおりの夢」もアルバム『スペース・オディティ』に収録されていた曲である。リリース・バージョンは弦楽器が重ねられた壮大なものであったが、本作に収録のテイクはもちろんアコギのみ。歌詞も一部異なっているが、この曲は恋人ヘルミオーネを想定したもので、難解な歌詞ながらボウイの心情が溢れたものとなっている。「カンバセーション・ピース」は1970年のシングル「プリティエスト・スター」のB面としてリリースされたもので、後に『スペース・オディティ』のボーナストラックとして広く認知されることとなった。その原型が本作のこの時期にレコーディングされていたのである。「チンガ・リング」も初期のボウイには欠かせない曲である。スタジオ・バージョンは現在1967年のファースト・アルバムの2010年リリースのデラックス・エディションに収録されている。

「I’m Not Quite」という曲名に馴染みはないと思うが、未発表曲だと思って聴くと驚くこと間違いない。このメロディはまごうことなき「ヘルミオーネへの手紙」なのである。この時点ではまだヘルミオーネとは恋人関係であったはずであり、歌詞も若干異なるものの基本的に大きな改変はなされていない。それが別れた後にタイトルをストレートに「Letter To Hermione」と変えて発表されたのである。本トラックはその原曲になる。この曲が作られた時、ヘルミオーネはこれが自分への手紙を託した曲だということに気付いていただろうか。

「愛の歌」はレスリーダンカンのカバーである。女性歌手の曲をボウイがカバーするという非常に珍しいパターンを聴くことが出来る。後にスプリングスティーンの「都会で聖者になるのはたいへんだ」をレコーディングしたことがあるが、有名無名を問わず気に入った楽曲を自分でレコーディングしたその先見性を垣間見ることが出来る秀逸なカバーである。

「僕が5才の時」は美しいメロディ、テーマを繰り返し挿入し、歌詞を早口で詰め込んだ曲調で、まるでビージーズのような曲である。意識してかどうか不明だが、エンディングで徐々に声を細めていくところなど、まさにビージーズそのものと言っても過言ではない。これもスタジオ・バージョンは現在1967年のファースト・アルバムの2010年リリースのデラックス・エディションに収録されている。つまりその時期のレコーディングをこの時改めてレコーディングしていることになる。持ち歌が少なかったこともあろうが、ボウイ本人が時代の影響をモロに受けた当時のアレンジが不満で、再度トライしようとしていたのではないかと想像してしまう。

「Life Is A Circus」は現在でも完全の未発表曲。森田童子が歌いそうな暗く重い曲である。シェークスピアの戯曲「お気に召すまま」に「人生は舞台である。人は皆、役者」という有名な一節があり、英国の若者で演劇を学んだボウイがそれを知らぬはずがない。おそらくシェークスピアの戯曲から着想して作った曲ではないだろうか。「人生はサーカスのようなもの。公平ではない。人生は険しい道程である。」という哲学的な歌詞をゆったりと囁くように歌っている。サーカスとは楽しみであると共に畏怖の対象でもある。よく子供の頃にイタズラをすると「サーカスに売り飛ばされる」と叱られなかっただろうか。涙を垂らしたメイクをして笑顔でおどける道化師たちが、どこからかやって来て、どこかへと消えていく、非日常を期間限定で持ち込む不気味な存在、それがサーカスである。この畏怖の感覚は世界共通で、フェリーニの映画や、スティーブンキングの「It」など数多くの題材になってきた。そしてボウイは、ここでサーカスとは人生であると歌っているところが深いではないか。

このベックナム・テープの最後は「Lover To The Dawn」と題された曲である。これも曲名にピンとこないかもしれないが、アルバム『スペース・オディティ』の「シグネット・コミティー」の原曲である。印象的な美しい12弦ギターによるメロディ・ラインはそのままながら、最終バージョンにはないミドル・パートが加えられていたり、エンディングに繋がる部分も異なり、何よりテンポを落とし、歌詞も別物。この曲がどう発展して「シグネット・コミティー」になったのかとを伺い知ることが出来る。「ヘルミオーネへの手紙」はまだ原曲を保っていたが、この曲は「シグネット・コミティー」との乖離が大きく、しかし確実に原曲であることはわかるという、ファンにとっては非常に興味深いテイクである。

以上、10曲が、通称ベックナム・テープと呼ばれる、THE FEATHERSと名乗っていたボウイ、ハッチンソン、そしてヘルミオーネのトリオで1969年4月にレコーディングされた全てである。

以降はBBCラジオ・セッションの音源が収録されている。まずは現存する最古のBBC音源である1967年12月18日のTOP GEARから5曲。初期の代表曲である「愛は火曜日から」から始まり、「僕の夢がかなう時」「哀れな砲撃手」「愚かな少年」「イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・モーニング」と、時期的にもプロモーションを兼ねて1967年のファースト・アルバム収録曲を演奏している(「In The Heat of the Morning」のみアルバム収録曲ではないが、後にデラックス・エディションに収録)。続いて1968年5月13日収録のTOP GEARから「僕が5才の時」を収録。ベックナム・テープにも収録されていた曲で、元々シンプルな曲なだけに印象は変わらないが、オーケストラなどを重ねられているため、よりビージーズっぽいアレンジに仕上がっている。そして最後のトラックは1969年10月20日デイヴ・リー・トラヴィスのセッション音源である。この時はリリース直前の『スペース・オディティ』から「眩惑された魂」を演奏している。既にレコーディング済みの曲なだけに、スタジオ・バージョンとほぼ同じ演奏である。

ボウイとヘルミオーネの同棲時代、恋に落ちていたボウイが、売れないながらも精神的に満たされていた幸福の真っ最中に、恋人のために作った曲に託した優しい気持ちが、この音源から溢れ出てくるようだ。そしてさらに深みを増しているのが、幸福の絶頂にある中で、この直後に訪れる別れを予感したような一筋の影が薄っすらと差している点であろう。幸福と絶望が入り交じった時、人は最も優しくなれるのではないか。その瞬間を捉えたこのベックナム・テープはボウイ飛翔前の貴重な音源であると言える。そしてもちろん、曲目を見て頂ければわかるとおり、これは紛れもなくメイキング・オブ・スペース・オディティなのである。このデモ・レコーディングからボウイは世界に大きく羽ばたくことになる。世界的名声と多大な富を得ることになるボウイが、それと引き換えに失った、二度と戻ることの出来ない幸福な時間が、この音源に凝縮されている、そんな気がするのである。時代の空気に息づいて鮮やかだった日々、哀しみにペン先を浸して想い出で余白を潰し、恋人の名で心を埋めた時代のボウイは限りなく切なく、限りなく美しい。ピクチャー・ディスク仕様の永久保存がっちりプレス盤。

FOXGROVE ROAD, BECKENHAM U.K. April 1969
01. Introduction
02. Space Oddity
03. Janine
04. An Occasional Dream
05. Conversation Piece
06. Ching-A-Ling
07. I'm Not Quite a.k.a. Letter To Hermione
08. Love Song
09. When I'm Five
10. Life Is A Circus
11. Lover To The Dawn a.k.a Cygnet Committee

TOP GEAR SESSION Piccadilly 1 Studio December 18, 1967
12. Love You Till Tuesday
13. When I Live My Dream
14. Little Bombardier
15. Silly Boy Blue
16. In The Heat Of The Morning

TOP GEAR SESSION Piccadilly 1 Studio May 13, 1968
17. When I'm Five

DAVE LEE TRAVIS SESSION Aeolian Hall October 20, 1969
18. Unwashed And Somewhat Slightly Dazed